日帰り登山へGO! > 埼玉県の山 > 天覧山と多峯主山
天覧山 てんらんざん 標高197m 多峯主山 とうのすやま 標高270.7m 3等三角点 |
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駐車場から天覧山頂まで約20分 ・ 天覧山頂から多峯主山頂まで約40分 | |
埼玉県飯能市 (多峯主山)地図リンク → 国土地理院の地図 | |
天覧山:西武池袋線飯能駅・JR八高線東飯能駅の北西方に位置する。県立奥武蔵自然公園の入口・奥武蔵自然歩道の起点となっている。当山は、山麓にある能仁寺(文亀年間(1501-1504)創建)の守護神として山頂に愛宕権現を祀ったところから愛宕山と呼ばれていたが、また、能仁寺山とも呼ばれていた。のち、山腹に羅漢石像が寄進されて以後は羅漢山とも呼ばれるようになる。この羅漢石像は、元禄年間(1688-1704)江戸幕府五代将軍徳川綱吉が病に伏した折、綱吉の生母、桂昌院が病気平癒の祈願をし無事病が治ったため十六羅漢石像を寄進したといわれているが、現存の十六羅漢石像は飯能に住む人が幕末の頃に寄進したものという※。明治元年(1868)には明治維新の飯能戦争において、能仁寺は振武軍(旧幕府軍)の本陣となったため新政府軍の攻撃を受け堂宇を焼失(本堂が再建されるのは昭和十一年(1936))。後、明治16年(1883)4月18日、近衛諸兵対抗の大演習が行われた際、明治天皇がこの山から統監したことにより、天覧山とも呼ばれるようになる。山の中腹には、明治天皇が乗馬してきた愛馬「金華山」を松につないだ場所があり、碑が設置されている(松は御駒繋松と呼ばれていたが枯れてしまい現在は無い)。能仁寺の池泉鑑賞式蓬萊庭園(能仁寺庭園)は桃山時代末期のものとされる。春は桜、秋は紅葉の名所。埼玉県指定名勝の第1号。 | |
※徳川綱吉の生母、桂昌院が羅漢像を寄進したという記録は無く、あくまでも伝承だが、綱吉は宝永二年(1705)、五石だった能仁寺の寺領を一気に五十石にも引き上げている(徳川綱吉朱印状)。 | |
多峯主山:西武池袋線高麗駅の南に位置する。飯能市街の北西に生ずる丘陵中にあり、天覧山の北西に連なる。天覧山の奥の院ともされる。山頂には、経文が書かれた石が土中に埋めてある経塚があり、その上に石経供養塔が立つ。その横には3等三角点が設置され、展望も良い。視界の利く日には都心のビル群、丹沢山地、富士山、奥多摩、奥武蔵の山々が望める。山頂付近には飯能出身の大名、黒田直邦の墓(大名墓の模範とされる)や、未だかつて水が枯れたことがないと伝わる雨乞池、常盤御前の墓と伝えられる石塔、御嶽八幡神社などがある。東麓の見返り坂には県指定天然記念物のハンノウササが植生、常盤御前伝説にまつわるヨシダケというのもある。県立奥武蔵自然公園に属す。山名は、周辺の峰々の中の主の山ということか。 | |
所沢方面から→国道463→国道299→🅿中央公園駐車場(無料の広い駐車場)(トイレ有り) グーグルマップ | |
飯能駅からバスの場合、天覧山下で下車 (駅から歩いて来ると20~30分) |
2007.2.東風解凍/2024.5./2024.6.再訪・改訂
① 駐 車 場 側 か ら 見 た 天 覧 山 |
(この辺りの標高約115m) 駐車場を出たら能仁寺の方へ歩道を進み、 信号を渡ったら右へ。 能仁寺山門から入ってお参りし、境内を通って下写真④に出るルートもあり 【外部リンク】能仁寺公式ホームページ |
駐 車 場 は 車 道 の 両 側 に あ り ま す |
ト イ レ の 前 の 辺 り に 案 内 図 あ り |
②信号を渡って100mほど進むと 天覧山への道標が現れます。 ここから入ると少しだけ近道(白矢印)。 もう少し先へ歩道を進むと(水色矢印) 能仁寺参道・天覧山入口。 (バス停:OH !!!・天覧山下) 国際興業バス OH!!!って食べ物屋さん? 👉 OH!!!ホームページ【外部リンク】 |
③能仁寺参道・天覧山入口 ここから入って行きました。 奥武蔵自然公園の玄関口でもある。 |
奥武蔵という名称は、昭和の初期頃、武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)がハイキングコースの宣伝に使ったのが始まりで、のち昭和26年(1951)に埼玉県立奥武蔵自然公園が設定され、以後「奥武蔵」の名が定着。
④ 天 覧 山 登 り 口 |
こ こ か ら 山 中 へ ! |
(上写真②の地点からの近道を通ると1分でここに出ます) |
⑤ 天 覧 山 中 段 |
東屋・御駒繋松記念碑ベンチ・案内図・トイレがある広場です。 (駐車場から約10分) 明治16年、明治天皇が近衛諸兵対抗の大演習をこの山から統監するにあたり、 乗ってきた愛馬「金華山」を繋いだ松の木があった場所です。(松は現存せず) 明治天皇も、ここから天覧山頂まで歩いて登ったんだな。 |
⑥分岐 どちらの道で行っても天覧山頂へ行きます。 十六羅漢像がある方の道で天覧山頂へ向かいました。 |
⑦ 十 六 羅 漢 |
十六羅漢像は崖状の山斜面に。 徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院が 寄進したという羅漢像16体だが、現存するものは地元の住人が幕末の頃に 寄進したものらしい。他、如来像・地蔵菩薩像もあり。 |
笑 顔 ☺ の 羅 漢 像 群 |
十六羅漢像を通り過ぎた先は、少しだけ岩場の急登です。(2,3分)
⑧もう少し登ると天覧山頂。 天覧山頂部南側斜面は 展望台になっています。 |
⑨天覧山山頂! 標高197m 三角点は無し。 (天覧山中段から約10分) |
露 岩 の 山 頂 |
南 方 面 の 展 望 が 開 け る |
岩は、約3億5千万年前から1億5千万年前に海底で出来た地層が、約300万年前に隆起したものという。
明治16年(1883)4月18日、明治天皇は近衛諸兵対抗の大演習をここから統監した。
埼玉県指定名勝 第1号 天覧山の勝
⑩山頂の南側斜面は、コンクリート製の がっしりとした展望台になっています。 |
⑪当日はそこそこの視界が得られ、富士山見えた! |
⑫飯能市街を望む。(麓に出発地点の駐車場が見える) |
天覧山頂から多峯主山へ
⑬道標の指し示す 「多峯主山」方面へ向かって 一旦、山を下ります。 |
⑭多峯主山方面へ下って行くと 高麗峠への分岐が現れる (そばにあずま屋アリ)。 道標[多峯主山・見返り坂/高麗峠/天覧山山頂] そのままさらに木段を下って行く(水色矢印)。 (白矢印・高麗峠方面への道を進んでも 多峯主山頂へ行くことができます。 そちらは尾根上を通って多峯主山へ向かう道。 尾根上ですが樹林帯の中なので展望はありません。) |
⑮階段を下まで下りたら右 (多峯主山方面)へ進む。 道標[能仁寺・飯能河原・中央公園 /多峯主山/天覧山山頂] (この辺りの標高約133m) ここから見返り坂まで ほぼ平坦な緩やかな道です。 |
⑯高麗峠分岐。 そのまま多峯主山方面へ。 |
⑰ 見 返 り 坂 |
源義経の母、常盤御前が この坂を登ったという 伝説がある。付近には、 県指定天然記念物の 飯能笹(ハンノウササ)が 自生。 (見返り坂と飯能笹の説明板アリ) (天覧山頂から約15分) (この辺り標高約140m) ここから木段の登り坂。 |
見返り坂の登り口付近に 「飯能笹 増殖準備中」と 看板が立っていた。 これがハンノウササか? 普通の笹と全く見分けがつかん! 植物学者の故牧野富太郎博士が ここで発見・命名した。 この地にのみ生えているという。 |
見返り坂を登って行く。
⑱高麗駅への分岐。 そのまま多峯主山方面へ。 (上写真⑭の分岐から 高麗峠方面へ入って、尾根上を 多峯主山方面に進むと、 この辺りに出ます。) |
⑲分岐[雨乞池経由多峯主山/多峯主山山頂/天覧山] ここから直接多峯主山山頂へ向かえば、 10分程で山頂なのですが、 雨乞池経由で山頂へ向かいました。 |
⑳ 雨 乞 い 池 雨 乞 淵 と も い う |
雨乞池 この辺りの標高約220m 池畔にあずま屋アリ。 [常盤平/多峯主山山頂・黒田直邦の墓 /天覧山]分岐 (見返り坂から約25分) |
㉑池には、なぜか錦鯉? (大きく育った金魚?)がいた。 説明板によると、 この池の水は 一度も枯れたことが無く 古くは高龗(たかおかみ)・ 暗龗(くらおかみ)という 雨をつかさどる神が、 この辺りの上の方に 祀られていたといいます。 |
(出た!初めて見た漢字、龗。レイ・おかみ。龍神のことをいうそうです。)
そんなに遠くないので常盤が丘の宝篋印塔を見に行ってみる。
常盤平へ上がって、そこから尾根上を東へ(雨乞池から5分弱)。
㉒ 宝 篋 印 塔 |
宝暦十三年(1763)建立 高さ:284cm 石質:安山岩 常盤が丘と呼ばれる小峰の頂に立っている。 木々が林立し展望は無い。 源義経の母、常盤御前の墓と伝わる石塔とは、これのことかな? |
【宝篋印塔の銘文】
寳暦十三癸未二月日 願主□山玄海權律師 / 百千具低諸如来 咸在塔中喚善哉 親験見聞隨喜徳 終離苦域坐蓮臺 / 寳筐印塔 / 法界塔婆 是諸佛體 十方檀那 現當巨益
常盤御前とは関係なさそう。なお、この宝篋印塔は黒田直邦の墓が建立されてから28年後に立っている。(ちなみに多峯主山頂の石経供養塔は、黒田直邦の墓が建立されてから30年後に立っている。)
(願主は耆山玄海か?)耆山玄海(きさんげんかい)。正徳二年(1712)―寛政六年(1794)。緯(いみな)が耆山、字(あざな)が玄海。法名 青蓮社香譽耆山玄海。増上寺の僧、のち梅窓院(長青山寳樹寺:港区青山)に隠棲。詩文に優れ、著書に『青山樵昌集』がある。
常盤御前は平安時代後期、保延4年(1138)に生まれたと伝わるが、文治2年(1186)以降、晩年の動静は記録に無く没年もその場所も不明。多峯主山の宝篋印塔は、常盤御前の墓があったと伝わる場所に、江戸時代に建立された供養塔とされる。常盤御前の墓と伝わるものはここ多峯主山の他、岐阜県関ケ原町、群馬県前橋市、鹿児島県鹿児島市などにもある。
常盤平から一旦、雨乞池まで下り、今度は多峯主山山頂へ。
途中、黒田直邦の墓があります。
㉓ 黒 田 直 邦 の 墓 |
飯 能 市 指 定 史 跡 |
江戸時代、飯能の領主だった黒田家の祖が直邦。 大名墓の模範とされるお墓だそうです。 墓石の背後の上部に大きな自然石があり、その下に直邦の遺骨が埋葬されているという。 |
萬松院殿故中太夫拾遺兼豊前州大守丹治真人関鉄直邦大居士 享保二十年乙卯三月二十六日 (1735年)
直邦の墓から、さらに山を登ってゆくと山頂。
㉔ 多 峯 主 山 山 頂 ! |
広めの山頂。眺望良し!テーブル2台、ベンチ数台あり。 レジャーシートを敷いてお弁当を食べてる人が多い。 |
㉕ 多 峯 主 山 は |
天 覧 山 の 奥 ノ 院 |
標高270.7m◬3等三角点(点名:夛峯主)「夛」は「多」の俗字です。 |
山頂には経塚があり、明和二年(1765)銘の石経供養塔が立っています。(山頂の説明板によると、この下に経文が書かれた河原石が1万2千個も埋まっている!)
多峯主山山頂からの展望!
↓写真クリックで拡大します↓(パノラマ写真×4枚)
多 峯 主 山 山 頂 か ら |
天覧山の向こうに飯能市街。 (南東方面) その奥の丘陵は加治丘陵。 |
俯 瞰 |
日和田山中腹、金刀比羅神社二の鳥居 👉日和田山、金刀比羅神二の鳥居から見た多峯主山 |
西武池袋線 高麗駅 (北北東) 多峯主山山頂から俯瞰 |
聖天院 |
東方に見えるビル群は さいたま新都心のビル。 |
下山
㉖下山は吾妻峡を経由して 駐車場へ戻るルートを とりました。 [黒田直邦の墓0.7㎞ ・御嶽八幡神社0.4㎞ ・吾妻峡1.8㎞・ 飯能駅4.8㎞] 道標の指し示す 「吾妻峡」方面へ向かって 山を下りて行きます。 |
㉗永田台・横手台方面への分岐。 そのまま吾妻峡・御嶽八幡神社 ・飯能駅方面へ下りて行きます。 |
㉘ バ イ オ ト イ レ |
山頂から5分ぐらい下りたところに バイオトイレがあります。 2016年3月に設置されたそうです [雨乞池・黒田直邦の墓/常盤平 /御嶽八幡神社/多峯主山山頂]分岐 ここは御嶽八幡神社方面へ進みます。 |
㉙御嶽八幡神社 おんたけはちまんじんじゃ 標高約237m (バイオトイレから約5分) 道標の「吾妻峡」方面へ下りる。 |
㉚御嶽八幡神社から もう少し下りたところに 牛頭天王の祠。 さらに下りて行く。 |
㉛石鳥居(昭和62年製)をくぐり、 石段の下まで下りる。 道標の指す「吾妻峡」方面へ。 |
㉜鉄製の鳥居(昭和55年製)。 御嶽八幡神社の扁額が掲げられています。 この辺りの標高約122m (御嶽八幡神社から約15分)案内図あり。 [吾妻峡0.5㎞/多峯主山1.3㎞] ここから車道歩き。 道標の指し示す「吾妻峡」方面へ。 |
㉝(国際興業バス)永田大杉バス停を通り過ぎ、 ドラッグ セイムス※の横の路地に入っていきます。 ※昔はバイゴーという店だった。そしてその横には セブンイレブンがあった。今、セブンイレブンのあったところは コインランドリーになっている。 |
㉞案内図・道標に従い進む。 |
㉟民家の広い駐車場のような所の細い道を進む。 荒瀧不動の屋根が見えるのでそちらのほうへ。 |
㊱畑の手前、下へ下りる道に入って、荒瀧不動明王の前を通り、さらに下りて行く。 |
荒 瀧 不 動 明 王 |
㊲ 吾 妻 峡 |
ド レ ミ フ ァ 橋 を 渡 る |
鉄 製 の 鳥 居 ・ 車 道 に 出 て か ら 約 10 分 |
渡 っ て 楽 し い 橋 |
子 供 は け っ こ う 喜 ん で 渡 っ て い ま す |
㊳ 横 か ら 見 た ド レ ミ フ ァ 橋 |
川を渡った先に、“河原を通ってゆくルート”と“八耳堂前を通るルート”の分岐が あります。(案内図あり) 今回は河原を通るルートにしてみました。 (前回2007年に訪れた時は八耳堂のほうを通るルートしかなかったような気がする。前からあったのかな?) |
入間川は、この辺りでは名栗川とも呼ぶ。(入間川は岩根橋より上流を名栗川とも呼ぶ)
(下写真㊺の辺りに岩根橋)
大正時代の頃までは、スギやヒノキの材木を筏にしてこの川を下り江戸(東京)まで運んでいたそうです。
河原を歩いて、もう少し下流にある中平河原を目指します。
河 原 の 生 き 物 |
さわがに ヤマサナエ キセキレイ |
魚が気持ちよさそに泳いでいた。 帰ってから調べたら外来種のコクチバスだった。 こんなきれいな渓流にもいるのか! |
㊴河原を下流に向かって歩いて行くと、途中にウサギの形をした大きな岩が! 兎岩と呼ばれています。 (ドレミファ橋から200m、中平河原まで500m) |
兎 岩 |
㊵河原を歩いていたらヘビと遭遇。 マムシに似た模様ですが、アオダイショウか? 君子危うきに近寄らず |
㊶中平河原(なかだいらかわら)に到着。(ドレミファ橋から約15分) [飯能河原1.3㎞・飯能駅2.5㎞/ドレミファ橋700m・多峯主山2.3㎞] |
吾妻峡~中平河原間は、バーベキューをしたり川遊びをしている人が結構います。
中平河原からは一旦、河原を離れ、車道(歩道アリ)を通って飯能河原へ向かいます。
㊷中平河原から車道に出るまでの間に 中平河原観光公衆トイレ(中平河原から100m) |
㊸トイレを通り過ぎ、車道に 出る(歩道のある車道なので安心)。 道標の指し示す 「飯能河原」方面へ進む。 (ここを右に進むと八耳堂・軍荼利神社方面) (公衆トイレからココまでの区間は 夜19時~朝8時15分まで通行出来ません) |
㊹信号のある交差点を渡る。 (そのまま直進) |
しばらく進むと飯能河原を指す道標が現れるので、それに従い歩道を道なりに左へ曲がりこみ、さらに進んでいく。
㊺前方に車の案内標識が見えてきます。案内標識の「市道」方面へ入って行きます。 (公衆電話のそばに道標も立っています) (ここを左に曲がると岩根橋があり、その下を流れる入間川はこの岩根橋を境に上流側を名栗川とも呼ぶ) |
㊻進行方向左側に、飯能河原への入口。 ここから入って行きます(下り坂)。 |
㊼河原に下りてきました。 大河原観光公衆トイレがあります。 (中平河原からここまで約25分) |
㊽堰の上を通って入間川を渡り、対岸の車道に出たら右へ。 (堰を渡らず、河原沿いの遊歩道を下流側へ進んでいくと飯能河原に出ます。) (この辺りや飯能河原は、土日祝などバーベキュー・川遊びでとっても賑わっている) |
㊾車道に出たらお店の前で左折し、コンクリートの坂道を上がって行きます。 (道標の指す「天覧山・博物館」方面へ) |
㊿坂道を上がったら信号機のある道を渡る。道標の「天覧山・多峯主山」方面へ2,3分進むと駐車場。 (大河原観光公衆トイレから堰を渡って駐車場まで約15分) |
【吾妻峡から八耳堂へ行く場合】
吾妻峡のドレミファ橋を渡った先にある案内図・道標に従い進み、河原を離れ車道に出たら左折。少し進むと八耳堂の入口(看板あり)が見えてきます。(吾妻峡から約5分) グーグルマップ
八 耳 堂 |
太 子 堂 と も 呼 ば れ る |
金軸山無量院金蔵寺の仏堂。聖徳太子(厩戸皇子)を祀る。 保元年間(1156-1158)頃に創建されたと伝わるが、 現存のお堂は文政三年(1820)に再建されたもの。 お堂の前にある宝篋印塔は1785年製で 飯能市指定有形文化財。 この辺りの標高約121m (そばにトイレあり) |
【八耳堂 宝篋印塔の銘文】
経日若者有情能 於此塔一香一華 禮拜供養八十億 劫生死重罪一時 消滅生免灾殃死 生佛家 / 旹文化八載舎辛 未季秋九月吉日 奉造立爲先祖代々菩提 武州高麗郡大河原村 施主 中里善左衛門 / 若人死随地獄受 苦政誦神咒至七遍 爲八功德池若復 有病人苦痛誦此 咒二十一遍壽命 延長福德無盡
八 耳 堂 の 奥 に |
軍 荼 利 神 社 |
飯能の武士、大河原四郎が建仁二年(1202)に創建と伝わる。 天和二年(1682)火災の為焼失。現存の社はのちに再建されたもの。 軍荼利神社のさらに奥には摩利支天の小社もあります。 大河原氏の砦があった龍崖山の登山口にもなっています。 |
八耳堂入口前の車道を東へ進む(道標アリ)と、約5分で上写真㊸の辺りに出ます。
飯能河原 はんのうがわら グーグルマップ
河原には歩行者用の橋が架かる。河原はバーベキュー・川遊びをする人達で賑わってる。 右岸には手ぶらでバーベキューをする店「West River BBQ」ができてた。 前回訪れた2007年当時より、だいぶ整備され、あか抜けた感じになってた! (中央公園駐車場まで15~20分、飯能駅まで約20分)(左岸に案内図あり) 【外部リンク】飯能河原公式ホームページ 【外部リンク】West River BBQ公式ホームページ(バーベキューセットのレンタルもある) |
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今回の登山ルート 2024.6. |
🅿 中央公園駐車場 |
↓ 約5分 |
天覧山登り口 |
↓ 約5分 |
天覧山中段 御駒繋松の碑 あずま屋 トイレ |
↓ 約10分 十六羅漢像を経る |
▲天覧山山頂!197m |
↓ 約15分 |
見返り坂 飯能笹 |
↓ 約25分 (雨乞池手前の分岐で、直接多峯主山頂へ向かえば見返り坂から約30分で山頂) |
雨乞い池 あずま屋 |
↓ 約10分 |
◬多峯主山山頂!270.8m 3等三角点 石供養塔 |
↓ 約10分 途中にバイオトイレ |
御嶽八幡神社 |
↓ 約15分 |
車道に出る |
↓ 約10分 車道歩き |
吾妻峡 ドレミファ橋 |
↓ 約15分 河原を歩く (道中に兎岩・汽車淵) |
中平河原 |
↓ 約20分 車道に出て飯能峠方面へ |
堰 |
↓ 約10分 入間川を渡って北進 |
🅿 中央公園駐車場 |
前回の登山ルート 2007.2. |
🅿 市民会館の隣に広い駐車場(中央公園の駐車場)があります。W.C.アリ。※🅿はイベントなどで使用できない時があるらしい ↓ 約3分 天覧山、登山口 能仁寺に向かって右側、 コンビニエンスストアの手前にあります。👉コンビニ無くなってた。2024.6. ↓ 約10分 天覧山中段 広場になっています。W.C.、ベンチあり。 ↓ 約5分 十六羅漢像 ↓ 約5分 山頂手前辺りは岩がむき出しになっていて少しだけ急坂となっています。 ▲天覧山山頂!197m 展望台になっています。飯能市街~奥多摩方面が望めます!空気が澄んでいれば都心も望めます。 写真⑥⑦⑧ ↓ 約15分 山の裏から下って行きます。 見返り坂 入口にマムシ注意の覚書。ここから、また上りになります。 ↓ 約20分 雨乞い池 ↓ 約10分 ◬多峯主山山頂!270.8m 3等三角点、石経供養塔があります。ベンチあり。天覧山の奥に飯能市街、奥多摩、奥武蔵の山々の眺望を楽しめます。(ここで、来た道を戻り下山してもよかったのですが、今回は時間があったので吾妻峡、飯能河原を周って駐車場に戻ることにしました。) ↓ 約10分 御嶽八幡神社 ↓ 約10分 鳥居を2つくぐる 車道に出る (2つ目の鳥居はココにあります) ↓ 約5分 車道に出たら右へ進み、左手にバイゴー(スーパー?)が見えてきたら、その脇の道へ入る。暫く進むと右手に荒滝不動明王があるので、その脇道を下りていきます。👉 バイゴー無くなって、ドラッグ セイムスになってた。2024.6. 吾妻峡 (思ったほどきれいではなかった)👉 きれいになってた。ゴミが全く無くなっていた。2024.6. ↓ 約3分 渓谷(入間川)を渡る。橋?が楽しい。 車道に出る ↓ 約3分 車道に出たら左へ。暫く進むと右手に八耳堂が見えてくる。 八耳堂 W.C.アリ。奥に軍茶利神社 ↓ 約20分 車道を進むが飯能河原手前辺りで車道から外れるので地図で確認を! 飯能河原 河原にある蕎麦屋は趣がある 👉現代風のカッコイイ感じの店が出来てた。2024.6. ↓ 約20分 河原を細い一本橋で渡る。楽しい。渡ったら観音寺方面へ進む。👉一本橋、架け替えたのかな?2024.6. 🅿 一廻り約2時間30分(休憩時間は含まず) |
去年、天覧山に寄ってみたのですが、多峯主山には登らなかったので、再度登りに行きました。登山初心者には最適のハイキングコースとなっていて、各山頂からの景色も楽しめます!それにしても今年は、2月にはいったら空が霞んできてしまった!春の様な空です。例年ならこの時期はまだ、だいぶ遠くの景色まで見渡せるのですが・・・。雪もありません。暖冬をつくづく実感します。今回、冬に登ってしまったのですが、この山は桜と紅葉の季節が良いらしいです。あと、今回のコースでは、入間川を2回渡るのですが、歩行者用の橋なのでけっこう楽しい! 2007年2月
2024年、ふらっと再訪。なんと17年ぶり。飯能市、以前より発展しているような気がする。街が若返ってるような気がする!飯能市イイかも。 2024.6.
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