日帰り登山へGO! > 群馬県の山 > 牛伏山 (観光)
牛伏山 うしぶせやま 標高490.7m 牛伏山自然公園 展望かなり良いです(視界の利く日) | |
駐車場から山頂まで3分 | 群馬県多野郡吉井町※ 地図リンク→ 国土地理院地図 |
牛伏山は西峰の金毘羅山(こんぴらさん)と東峰の一郷山(いちごうさん)からなり、金毘羅山に牛伏山山頂三角点・アンテナ塔・金毘羅神社・平和の鐘撞楼・石像臥牛(せきぞうがぎゅう)があり、一郷山の城跡には天守閣を模した展望台があります。山名の由来は、山体が牛の伏せた様に似ている事から。天守閣の展望台からは360度の眺望を楽しめます。上毛三山(赤城山・榛名山・妙義山)を始め、視界の利く日には筑波山なども望めます。日帰りドライブに最適! | |
上信越自動車道吉井→地方道41→牛伏山自然公園への案内標識がでてきます→天守閣(展望台)に駐車場 グーグルマップ (展望台と山頂の中間辺りにトイレあり) |
※群馬県多野郡吉井町は2009年6月1日に高崎市に編入
(赤城山の写真は⑥) 2006.
① ② |
①高速道路を出て少し行った所を右折。案内標識に従って車を走らせてゆくと山の上に天守閣が見えてきます。
②天守閣(展望台)の横に広い🅿があります。天守閣に上がって景色を楽しめます。視界の良い日は抜群の眺望!
③向う側が西峰で、山頂三角点はあちらに。 ④妙義山と浅間山(天守閣から望む) |
⑦車で西峰に移動(小さいPあります) ⑧琴平神社(金毘羅神社) ⑨神社の向かいに鐘堂 東峰の天守閣を望む 神社の裏のアンテナ塔の裏に3等三角点 鐘を撞けます |
牛伏山の梵鐘:「平和の鐘/昭和六十一年八月𠮷日 吉井町長 長谷川義治/鋳物師 高岡市 老子次右衛門」と陽刻されています。鋳物師(いもじ)の老子次右衛門(おいごじえもん)って有名らしい。
牛伏山の鐘の音 ← 【動画】 |
⑩ 牛 伏 山 山 頂 ! |
牛伏山 標高490.7m◬3等三角点 山頂碑は490.5mとなっていますが、最近の測定値は490.7mとなっています |
⑪大きな牛の石像がドンと伏せています。 (西峰と東峰の中間辺り) |
山上の開門時間:9時 閉門時間:3~10月は17時 / 11~2月は16時
武尊山に登ろうと思っていたが、天気予報では曇り夕方から雨と言う事だったので、最近たまたま知った「日本三古碑」なる物の二つが関東にあるというので、とりあえず群馬県の「多胡碑」(「多胡群羊大夫碑」)を見に行ってみようと思い立ちました。次いで雨も降りそうにないので牛伏山に登りました。(登ったといってもほぼ山頂迄、車で行けるので登山とは言えませんが・・・・・。※上の牛伏山の写真は視界の利く冬に再訪した時の写真を更新したものです。)
牛伏山から直線距離にして約5㎞。日本三古碑の一つ、多胡碑を見に行ってみた。
多胡碑 たごひ 日本三古碑・国指定特別史跡 群馬県多野郡吉井町大字池小字御門 グーグル地図 |
日本三古碑:日本で最も古い碑(いしぶみ)三種。他の二種は「那須国造碑」(なすのくにみやつこひ・栃木県湯津上村)と「多賀城碑」(たがじょうひ・宮城県)。 上毛かるた ㋰ 昔を語る 多胡の古碑 (むかしをかたる たごの こひ) |
2006.6.
多胡碑 和銅4年(711年)に奈良朝廷が「多胡郡」を設置したことを 記す石碑で、『続日本紀』和銅4年3月6日条に記されている事とも ほぼ一致しています。 碑身・笠石・台石からなり、碑文は和漢混淆文6行80字で、太政官から 出された命令文をもとに多胡郡が置かれた経緯を記した内容となっています。 古来より金石文の代表とされ、特に書体の格調の高さが、中国清朝時代の 「楊守敬」の知るところとなり、中国楷書大辞典『楷法溯源(かいほうそげん)』に 碑文中より39字が採択されています。 日本三古碑の一つ。 昭和29年(1954)、国指定特別史跡に指定される。 【碑身】高さ127cm 上部幅60cm 下部幅65cm 厚さ50cm 【笠石】中央部高さ25cm 端部15cm 幅90cm 厚さ90cm 【台石】消失の為詳細不明 隣に多胡碑記念館(¥200)があります。 ~2006年時~ |
← 実 物 は 写 真 撮 影 禁 止 だ っ た の で 説 明 看 板 ・ ・ ・ |
書に興味のある人は必見。味わいのある字体です。それにしても。多胡碑に書かれている羊(=羊太夫といわれる)は気になる。羊太夫は多くの伝説がある人物で、和同開珎につながる銅山の発見に関わっていたり、長距離の移動時間の速さについての伝承もある。羊太夫は馬を乗り回していた。ちなみに羊太夫の伝承は秩父の小鹿野町にも残る。
●隣の高崎市山名町にある、2つの古碑●
ついでに見てきました
多胡碑と合わせて上毛三碑とよばれる
山の上碑・金井沢碑は撮影禁止の表示がなかったので写真撮りました。多胡碑は撮影禁止でした。2006年
山 の 上 碑 や ま の う え ひ |
国 指 定 特 別 史 跡 |
【所在地】群馬県高崎市山名町字山神谷2104 グーグル地図 【形状】高さ102cm 幅47cm 厚さ52cm 4行53字が楷書体で丸彫りされている 【内容】息子(僧の長利)が母親(黒売刀自)を顕彰した碑。(681年) 完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑 この石碑と多胡碑は国宝でもいいじゃないか!と思う。隣りにある古墳は石室の中に入ろうと思えば入れる状態!入っていいのかなあ?不気味だったから入らなかったけど・・・。 2006年6月 |
金 井 沢 碑 か な い ざ わ ひ |
国 指 定 特 別 史 跡 |
【所在地】群馬県高崎市山名町字金井沢2334 グーグル地図 【形状】高さ110cm 幅70cm 厚さ65cm 【内容】神亀3年(726年)に先祖供養のために石碑を建てる。 |
当時、石に文字を刻んで記録を残す文化が関東以北にあった。大陸からの渡来人は、関西だけでなく、関東以北にも、すでに、けっこういて、根付いていたようだ。