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新編武藏風土記稿にみえる石棒

(石棒、石剣、または祀られる石等)

新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう):江戸後期、文化七年(1810)~文政十一年(1828)に編纂された幕府官撰の武蔵國の地誌。


卷之十三 豊島郡之五 野方領

上石神井村 (東京都練馬区石神井台)

往古村内三寶寺池より石剣出しかは、里人一社を営みそれを神体とし石神井社と崇め祀れりより神号をもて村名とせと云。社は今下石神井村にあり。

 👉三宝池(練馬区石神井台1-26)グーグルマップ

下石神井村 (東京都練馬区石神井町)

石神井社 是、村名の由て起こりし社なり。神体は則上石神井村三寶寺池より出現せし石剣なり。

 👉石神井神社(練馬区石神井町4-14)グーグルマップ


卷之十四 豊島郡之六 峽田領

下尾久村 (東京都荒川区東尾久)

石尊 社はなし。高四尺許の自然石二つ並べり。地に入ること深からざる由をいへば、先年掘んとせしに掘出し得ず。由て権現に崇め祭れりと云。近年傍に石尊と彫し碑を立。阿遮院持。下同じ

 👉下尾久石尊(荒川区東尾久6-31-1)グーグルマップ

石神社 神体は石剣なり、長二尺許


卷之二十三 葛飾郡之四 西葛西領 本田筋

立石村 (東京都葛飾区立石)

立石村は、村内熊野社の神体立石なるより起れる村名なりしと土人伝へり。

熊野社 村の鎮守なり。神体は石剣にして長二尺餘。村名もこれより起れり。

 👉五方山熊野神社(葛飾区立石8-44-31)グーグルマップ

稲荷社 立石稲荷と号す。これも神体石にて直径二尺許、高さ一尺程。下は土中に埋まり、其形状伏牛に似たり。此石、冬はかけ損し、夏に至れば元の如くなれり。かく寒にかけ暑に愈ると云は活蘇石なるべし。

 👉立石稲荷(葛飾区立石8-37-17)グーグルマップ

疱瘡神 神体は三尺程の石也。土人疱瘡石と云。小兒痘疹に罹るとき祈念すれば必災なしと云。今は都下の人まで聞傳て来詣する者多し。


卷之九十九 多磨郡之十一 日野領

新井村 (東京都日野市新井)

石明神社 神体はにて長さ二尺六寸ばかり。大きさ中の所にて一尺二寸ほど。


其状上の如し。当社鎮座および由来を詳にせず。棟札に慶長二年丁酉三月十八日御遷宮、金剛寺法印亮海。この餘にも文字あれども消滅してわづかに小助刀之衆氏子の七字読むべきのみ。今村内の鎮守なり。光徳寺持。

 👉石明神社(東京都日野市石田2-11-13)グーグルマップ(平成15年の町名変更までは日野市新井146だったそうです)


卷之百四 多磨郡之十六 由井領

上恩方村 (東京都八王子市神恩方町)

力石 宮ノ下の東にあり、ここに長一尺五寸許の石あり。名づけて力石神と称す。別に除地をもふくるにもあらず。


卷之百五 多磨郡之十七 由井領

川村 (東京都八王子市川町)

石神社 村の西にあり是をおしゃぐじの社とも云。小社。前に小鳥居あり。例祭九月廿九日、正徳の棟札に本地大日とあり小名大沢の民家の鎮守なり。千人組小山次郎右衛門屋舗つゞき、林の内にあり。


卷之百六 多磨郡之十八 小宮領

高幡村付持添新田 (東京都日野市高幡)

茶湯石 不動堂の後にあり。里俗に服ぬけ石と呼ぶ。喪服のもの百日に至れば当所へ来り茶湯料を納め、別当所にして茶を煎じ持来て此石に灌ぐ。自然石にして上の方細く下に至りて太し。高さ二尺七寸程。

 �☞茶湯石は高幡不動尊金剛寺の上杉堂(上杉憲顕の墓)に👉高幡不動尊金剛寺公式ホームページ


卷之百八 多磨郡之二十 小宮領

福生村 (東京都福生市牛浜、志茂、本町、北田園1~2、武蔵野台1~2)

稜明神社 小社。小名宿にあり村民の持。昔年、多磨川上水の新堀開鑿の時、土中より銅佛、并せて長き石を得たり。俗に傘石と云よし。平将門を祭るの文をえれり。故にかく云。後その銅佛を失ふて今は石のみあり。

 ☞稜明神社は福生市永田地区の個人宅庭にあるお宮のようです。👉福生市立図書館PDF 6/8 (p.17) に石棒の写真アリ


卷之百九 多磨郡之二十一 小宮領

平井村 (東京都西多摩郡日の出町平井)(旧五日市町平井)

不動石 字大山坂にあり、形ち三角にして高三尺五寸許なるなり。此石土中に入ることいくばくなることをしらず。由来詳ならず。保泉寺持。


卷之百十 多磨郡之二十二之上 小宮領

大久野村 (東京都西多摩郡日の出町大久野)

勝雄山(或は勝峯山とも云)

鈴ヶ石 勝雄山の中腹なる池の辺にあり、土人鈴御前の鈴石と云。径一尺ばかり、其形の鈴に似たるをもて名とす。

 ☞勝峰山の南側中腹にあります👉勝峰山(日の出町大久野)グーグルマップ


鈴石の正体はノジュールでした。一見、頭蓋骨に見える。
昔はもっと鈴っぽい感じで欠けてたのかな。現在は風化してさらに欠けてしまったのか?

月星石 山祇社(水ノ口の山上にあり、小社なり)内にあり、圓かなる白石にして青色の細點あり。大きさ四寸許り。其由来を傳へず。按するに当社に蔵する木札に、夜々月星光り星飛降りてこの上に落と記せり。これによりて設けしものなるべし。 隕石が落ちてきたのか?UFOが降りてきたのか!?

 👉山祇社(日の出町大久野5785)グーグルマップ


卷之百十二 多磨郡之二十四 小宮領

檜原村 (東京都西多摩郡檜原村)

千足石 千足郷御靈原の畑中にあり、大きさ一尺餘。その名のおこりを詳にせず。

 ☞村社御霊檜原神社にある庚申塔が足の裏のような形をした石だ。千足郷御靈原の畑の中にあったものか?👉御霊檜原神社(檜原村三都郷2773)グーグルマップ

女夫石 暮沼の内にて、秋川の北岸にあり。高四尺許、幅二尺の石、相並べり。よりてしかいへり。

 ☞三都郷にある角屋商店(休業中)のそばに、暮沼橋という橋がある(県道205号)。「暮沼」という地名が残る場所だが、女夫石については分からず。👉角屋商店(檜原村三都郷2773)グーグルマップ


卷之百二十 多磨郡之三十二 山口領

芋久保村 (東京都東大和市芋久保1~6、上北台1~3)

 社前(鹿島神社前)の原上むはら生ひ茂れる中にあり、要石と称す。其さまをいはゞ、長さ二尺五寸許、横四尺許、徑り一尺五寸、黒色にしていと潤沢あり。かゝる田間にありては耕作の妨なりとて、いつの頃か百姓等、よりつどひ穿ちすてんとせしに、地下に至るほど石の形ますます大にして、たやすく堀得べきにも非れば、是より土人要石と称せる名を得たりと村老の口碑にのこれり。按るにこの石、適々鹿嶋社前にあれば、かゝる話を附會せしにや、覚束なし。

 👉要石(豊鹿嶋神社)(東大和市芋窪3)グーグルマップ


卷之百七十三 入間郡之十八 入西領(にっさいりょう)

大塚村 (埼玉県坂戸市北大塚)

石上社 神體は長四尺、横一尺許の赤き石なり。相傳ふ、此社地の下は昔高麗川の流通せし所にて、此神體は川中より出しものなりと云。かゝる石はいくばくも有べきものなるに、いかなれば殊更には祀りけん、其故を傳へず。今村の産神とす。社の建る所は登り二十間許なる丘の上なり。明學院持なり。

 ☞石上社(石上神社)は、大塚村という村名の由来となる円墳(高さ約10m、直径約50m)の上に鎮座する👉石上神社(坂戸市北大塚138)グーグルマップ


卷之百七十九 高麗郡の四

佛子村(ぶっしむら) (埼玉県入間市仏子)👉グーグルマップ

蛇糞石 村の東北下ヶ谷戸の内、入間川の丹崖より出る化石なり。大抵周り三寸餘、長さ五六寸、或八尺餘なるもあり。傳へ云、この邊に往古大蛇潜藏して人民を悩せしを牛澤某なるもの撃殺せしとかや。又、こゝを矩ること三丁許東の方に牛澤と云所あり、某が住せし地にや。蛇骨近き年ま出しといふ。

 蛇糞石は「じゃくそいし」と読み、加治丘陵の仏子層にみられる管状の生痕化石。

青木村 (埼玉県飯能市青木)

力石塚 小名力石にあり、石をもて築し塚にて周囘八九尺あり。來由を詳にせず。此塚に觸るゝ人必瘧を病むと云。土人恐怖して近寄らずと。


卷之百八十八 比企郡之三

下井草村 (埼玉県比企郡川島町下井草)

氷川社 村の鎮守なり。神体は石にて其状石剣などと云べきものなり。先年漁人越辺川に網を下せしとき、たまたま得しと云。図石の如し。又、牛王版一枚を神宝とす。村内東福寺持。














卷之二百四十五 賀美郡之三

石神村 (埼玉県児玉郡上里町神保原町)

石神村は古へより、引上し石劒を祭りて鎭守とせしより起りし名なりなど云。

石神社 村の鎭守なり。別當照蓮寺持、神體は烏川より引揚し石劔にて長さ三尺に餘れり、勸請の年代を傳へず、元祿十六年九月再造の棟札あり

 上里町神保原の石神社(せきじんじゃ)。日本総社石神大明神とも称され、全国の石神の総社という。何故、全国石神の総社とされているのかは不明。石棒は当神社の御神体とされ、上里町の有形文化財(考古資料)に指定されている。『埼玉県市町村誌』によると石棒の長さは140㎝・中央部の直径は16.5㎝。行ってみたが石棒は見れなかった。

 👉石神社(上里町神保原町965)グーグルマップ


卷之二百五十三 秩父郡之八

栃谷村 (埼玉県秩父市栃谷)

諏訪社 

御前社 小名立石にあり平親王の妃と云。年貢地にて村民持。社は巽向、一棟三扉、中央は立石御前明神。右は山神、左は稲荷。いづれも圖のごとき形の石を神體とす。村内の鎮守にて毎年二月廿五日を例祭とす。社頭に立石あり。高さ九尺許、緃横九尺に三尺許。來因詳ならず。

これは岩隅か?石冠か?

卷之二百六十三 秩父郡之十八

日野村 (埼玉県秩父市荒川日野)(旧秩父郡荒川村日野)

淨光寺

不動堂 小名瀧ノ上にあり堂後に棒神と唱へて青石の棒あり。


長五尺許、
中の大さ一尺二寸許。
圖上の如し。
石棒のこと「棒神」って呼んでたんだあ!

 👉荒川日野の石棒(秩父市公式サイト)


卷之二百六十三 秩父郡之十八

贄川村 (埼玉県秩父市荒川贄川)

野栗權現社 所祭素戔烏尊大己貴尊なり。大宮鄕園田筑前が配下にて手嶋對馬の持。

熊野社四ヶ所 内一社、小名古池にあり。社中に青石の棒五本あり、其長さ一尺五寸より二尺許のものなり。

 贄川村古池の熊野社は、荒川贄川にある猪狩神社の境内社の熊野神社のことらしい。行ってみたが石棒は社祠に無かった。どこか違うところに保管されているのだろう。境内に掲げられた説明書きによると、石棒は「神佐根」と命名されているようだ。

 👉猪狩神社(秩父市荒川贄川)グーグルマップ