日帰り登山へGO! 番外編 大宮 氷川神社レイライン 意外とスゴイ!構造線と八咫烏!2⃣


氷川神社レイライン2⃣
氷川神社探索


参道入口  一の鳥居
是より宮まで十八丁」と刻まれた丁石
(ここから約109mごとに丁石が参道右側に設置されています)
日本一長い参道の入口です。
[氷川神社まで2000m/さいたま新都心駅まで450m]の指導標あり

ちょうどこの辺りを出雲大社-鹿島神宮レイラインが横切っている。
出雲大社(出雲国一之宮)本殿と鹿島神宮(常陸国一之宮)本殿をつないだ線上に
この場所があります。
氷川三社のうちの中山神社の参道鳥居も、出雲大社-鹿島神宮レイライン上にあります。


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氷川神社レイライン中心部

武藏国一之宮 氷川神社
~中山神社(中氷川神社)
~氷川女體神社
 


他、レイライン付近の神社

一丁丁石  参道沿に設置された全ての丁石は平成元年九月に再奉納されたものです。
江戸期の丁石は、氷川神社・さいたま市立博物館に保管されているそうです。
(「宝暦十四年(1764)甲申歳二月祥日」銘の「拾丁」丁石がさいたま市立博物館に展示されていました。)
👉 さいたま市立博物館(さいたま市公式サイト)(神社参道のニノ鳥居の東約80mにあります。無料)

参道はケヤキを主にした並木道で約2㎞続く。他にも様々な樹木が植わっている。
(参道の樹木は江戸期は松が多く、大正から昭和初期の頃の参道並木は杉で、のち、昭和九年の室戸台風による倒木、戦時中の伐採、車の排気ガス等による枯れのため、以後はケヤキに植え替えられ、現在はケヤキを主に総数約650本もの樹木が参道に並ぶ。季節ごとに変わる参道風景を見に訪れる人も多い。)


九丁丁石 長い参道の中間地点の丁石。大宮小学校の東門前にあります。

十四丁丁石  二の鳥居の手前右側にあります。
県道2号(さいたま春日部線)「氷川神社入口」信号付近
なんと!「十四丁」丁石から拝殿まで666m

二の鳥居  右側の写真は大正時代の頃の二の鳥居(石鳥居)(参道にあった説明板より)
現在の二の鳥居は、元は明治神宮に建っていた鳥居で、昭和51年(1976)に移築されたもの。台湾・阿里山(アーリーシャン)の樹齢約1200年以上とされる檜でできている。
それまで建っていた上右写真の石造の二の鳥居は、大宮公園口に移築された。(下写真㉛)

氷川神社の狛犬☞ 日帰り登山へGO!埼玉県の狛犬のページ

なんと!ニノ鳥居から本殿までの距離、666m!

この鳥居の右(東)へ80mほど行ったところにさいたま市立博物館があります。(無料)
👉 さいたま市立博物館(さいたま市公式サイト)【外部リンク】

十八丁丁石 最後の丁石なので三の鳥居の足元付近にあると思いきや、三の鳥居のけっこう手前にありました。
大きな切株のそばにあります。
でも、この場所だと、「是より宮まで十八丁」丁石からの距離が合わない。(1丁は約109mなので、18丁×109m=1962m)
本来はもっと三の鳥居のそばに置かれていたのでは・・・。


三の鳥居 昭和九年(1934)に奉納された鳥居
参道入口からここまで真っすぐの参道ですが、鳥居をくぐった先は左へカーブしている。
この辺りの左側にゆうすいてらす(休憩所)があります(下写真㉚)
氷川神社境内とその周辺
かつては大宮公園も合わせた一帯が、氷川神社境内。

今から6000年くらい前・縄文海進時は、神社の近くまで海が入り込んでいた。

NUCK5スタジアムの南にある「土器の館」で、縄文土器が展示されています。

氷川神社レイライン熊野大社-大生神社レイラインが交差する。


神橋の上から
神池に浮かぶ宗像神社を望む。
池には亀や鴨、鯉などがいる。
時々カワセミもいる。

⑩神池に架かる神橋

(神池は見沼=御沼の名残りという)

神池・神橋・宗像神社、この辺りを熊野大社-大生神社レイラインが通っている。
熊野大社(島根県松江市)は出雲大社と並ぶ出雲国一ノ宮で、紀伊の熊野三社よりも古いと言われる。大生神社(茨城県潮来市)は古代の意富(おふ)氏の奉斎社と伝わる神社で、常陸国一ノ宮である鹿島の本宮とも言われてる古社。
大生神社のページ(日帰り登山へGO!縄文石棒編)


手水

⑫立派な楼門

⑬楼門をくぐりぬけると
正面に舞殿
(その奥に拝殿)

舞殿拝殿
⑮舞殿の中

床がピカピカだ!

美しい!

拝殿

⑰拝殿の右側に廻って
氷川神社レイライン上に立ってみる。
ちょうどこの方向に
御嶽山金鑚神社(武蔵国二ノ宮))・
碓氷峠
熊野皇大神社浅間山
皆神山等々がある!
また、この場所には
明治天皇陛下大嘗會御饌埋納地がある。
(同じく氷川神社レイライン上にある
碓氷峠の碓氷川水源地の水は明治天皇御巡幸の
際の御膳水となっている)

⑱「明治天皇陛下大嘗會御饌埋納地
  と刻まれた碑がレイライン上に立っている。
とは、ごはん・お膳立てした食べ物・
   ごちそう・お供え物の意。
 埋納地とあるから、ここに埋めたのだろう。
 明治天皇が埋めたのだろうか?
 不思議な儀式だ。
 地面に正方形の4つの石が
 四角く配置されているのは何だろう?

氷川神社遺跡 本殿の裏の辺りは本殿を中心として馬蹄形に小高く盛り上がる部分がある。そこは縄文後期から晩期(約4500年~2400年くらい前)にかけての住居跡だったことが分かっている(平成24年(2012)の社務所建設に伴う発掘調査による)。
氷川神社の元は縄文人の祭祀場だったに違いない!



号鼓

太鼓の鳴る時間
春秋期(3・4・9・10月)開門5時30分 閉門17時30分
夏期(5・6・7・8月)開門5時 閉門18時
冬季(11・12・1・2月)開門6時 閉門17時


⑳東門を出たところに
門客人神社御嶽神社が並んで建っている。

2つの社殿はそれぞれ
さいたま市の有形文化財に指定されている。

門客人神社 (もんきゃくじんじんじゃ)
「かどまろうどじんじゃ」ともいう。

元は荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)だったらしい。
アラハバキ神は土着の神様・縄文の神様とも言われる。
ここを氷川神社レイラインが通っている。

御神水 (飲めます)
楼門を出て、
手水の後ろの辺りにあります。
地下水なので夏は冷たく、
冬はほんのりあたたかい。


水鉢
龍の姿がが陽刻されていて
水は静かにしたたっている。
水面は鏡のようだ。

手水と蛇の池入口の間にあります

御神井 手水と蛇の池入口の間にあります。
(中を覗いたら地下水をくみ上げるポンプの機械があった)


蛇の池 (じゃのいけ) 樹叢の中にある蛇の池は神聖な雰囲気が漂う。
池の奥から水が流れ出ている。今はポンプで地下水を汲み上げていると思われるが、昔は自然湧出していたのだろう。

この場所は縄文時代から貴重な水源地として祀られていたと思われる。

縄文海進が終わり海水面が退いて神社周辺が沼となったとき、この水が沼へと流れこんでいたので沼は「御沼」と呼ばれ、現在の氷川神社東方に「見沼」として地名が残っている。

池には錦鯉がいた。色鮮やかなカワセミもいたのですが薄暗いところに止まったのでピンボケで写真にはうまく撮れていなかった。

池の水は神池へと流れていく。

㉖蛇の池には神饌所の裏の方からも小川のような感じで池へと水が流れこんで来ているのですが、水源場所は見えない。(立入禁止区域の方から流れてきている)
氷川神社レイライン上に水源がありそうな気もする。
この小川はコロナ以降に新しく作られたようだ。

㉗蛇の池の近くにも湧水地があり(地下水をポンプで汲み上げた水と思われる)、小さな池を経て蛇の池からの小川と合流し、神池へと流れ込んでいる。

㉘神池に浮かぶ宗像神社。




㉙宗像神社の裏に回ると蛇の巣穴があります。
ホントに蛇が居るらしい。
蛇穴も蛇の通り道も、ちゃんと確保された作りになっている。
よくお参りに来ているという人が言うには霊験あらたからしい!
(所々で写真を撮っていたら話しかけられ、いろいろと教えてくれた)






㉚三の鳥居の外側にある休憩施設ゆうすいてらす
(2024年11月8日竣工の、まだ新しい休憩施設。裏にあるトイレもキレイ。)

ゆうすいてらすの前にも小さい池がある。

氷川神社境内とその周辺には池が多数あり、手水は2ヶ所、水鉢もあった。
全ての水場は流れがあり、滞っていない。
縄文の頃の水神信仰を引き継いでいると思われる。

㉛御嶽神社側にある門。氷川女體神社、中山神社と直線でつながる氷川神社レイラインは、白鳥池ひょうたん池門客人神社の辺りを通って本殿へ向かう。

門客人神社・御嶽神社への入口にあたるところにある白い石柱は、元は二の鳥居として大正元年(1912)~昭和51年(1976)まで参道に建っていた石鳥居。昭和51年、明治神宮に建っていた鳥居が氷川神社参道の二の鳥居として移築されるのに伴い入れ替わるかたちで、大正時代から建っていた二の鳥居(石鳥居)はここに移築された。平成23年(2011)東日本大震災でこの石鳥居は損壊し、現在はその柱の部分だけ残され立っている。
(この石鳥居は地震で損壊するまでは、白鳥池とひょうたん池の間の楼門へ向かう道に建っていた)

白鳥池  神社側から見た白鳥池
この池も見沼の名残り。縄文海進の頃は奥東京湾の海岸だろうか?
奥東京湾は浅く穏やかな海だったという。
氷川神社の拝殿から門客人神社・御嶽神社を通って白鳥池まで来ると、高低差が分かる。
ちょうどこの写真の方向に、氷川三社のうちの中山神社と氷川女體神社が鎮座している。
氷川神社本殿から氷川女體神社本殿までの距離がなんと!6.66㎞という不思議。
その先、氷川神社レイラインの南東端は九十九里の片貝海岸。
(縄文海進の頃は東金市のJR東金線の辺りまで海)

(この方向へ約200m行ったところに土器の館があります。NACK5スタジアムの南西側
👉 土器の館(さいたま市公式サイト)【外部リンク】

水準点 標高15.1m  昭和五年(1930)に設置された水準点
 正面は「一等水準點」、反対側は「基三六号甲」と刻まれている。
  (氷川神社の北側、神社の外にあります。大宮公園内。上写真⑧参照)

㉞氷川神社の裏(北西)側に廻って裏参道通りに出る。
氷川神社の西駐車場出入口の辺り。
ちょうどこの辺りに氷川神社レイラインが通っている。
(氷川女體神社、中山神社、氷川神社を結ぶ直線のレイラインは、氷川神社本殿を通ったあと、このあたりから神社境内を抜け出て真っすぐ北西方面、碓氷峠へと向かう。)

氷川神社レイラインは龍脈か?   ☞ 氷川神社レイライン1⃣のページ

氷川神社レイラインの北西延長線上にある碓氷峠には碓氷川水源があり、まさに、この「碓氷川」という字の中に氷川という字が入っている不思議。
碓氷川水源の水は明治天皇御巡幸の際の御膳水にもなっている。
また、碓氷峠にはヤタガラスの熊野皇大神社が鎮座!
もちろん明治天皇御巡幸の碓氷峠越えの際にはヤタガラスが先導したと思われる。
明治天皇は碓氷峠で何か儀式を行ったのだろうか?

氷川神社は太古の昔、縄文時代からの水神信仰を引き継いでいると思われるのだが、それには出雲・熊野のヤタガラスが関与していると思われる。

氷川神社レイラインは氷川神社から見て冬至の日の出夏至の日の入りの方角にひかれた線だが、中央構造線をほのめかしているような部分もあり、また、線全体ではフォッサマグナを斜めに分割しているようにも見える。
太陽の動きと大地(地殻)や地球内部マントルの動きはどのように関連しているのだろうか?

このレイラインの地面の下でうごめいている地球の動きを龍脈として縄文の祭祀者は感じとっていたのだろうか?
はたまた、碓氷峠から氷川神社まで通じる地下水脈の層でもあるのだろうか?それを龍脈としているのだろうか?

はたしてヤタガラスはこの龍脈をどのように活用しているのだろう?何を知り、どんな呪術をかけているのか?
日本の国土は隈なく呪術(結界?)が張り巡らされている感がしてならない。
誰のための何に対してのものなのか?



周遊池 こちらの池も見沼の名残り。縄文海進の頃にはここまで海が入り込んでいたと思われる。
大宮公園内遺跡はこの舟遊池の北畔付近にある。

大宮公園内遺跡 埼玉県立歴史と民俗の博物館の敷地内にあります。
縄文時代、弥生時代の住居跡が発見されている。
弥生時代の住居跡と復元住居、方形周溝墓が展示されている。
(博物館の外に展示されているので、この遺跡だけなら無料で見ることが出来ます)
👉 埼玉県立歴史と民俗の博物館公式ホームページ【外部リンク】

寿能遺跡(じゅのういせき)はこの辺りか?
大宮第二公園内にある縄文時代から平安時代にかけての遺跡。
寿能遺跡の看板や案内図、説明板は設置されていないので明確な場所が分からず。
(氷川神社の東約1㎞)

日帰り登山へGO!

氷川神社レイライン1⃣全域地図

鹿島神宮レイライン(鹿島神宮-皇居-富士山-阿蘇山)

鹿島神宮レイライン(鹿島神宮真西ライン)

玉前神社-出雲大社レイライン

縄文海進・関東平野最奥地の貝塚のページ

縄文石棒のページ


【外部リンク】

👉 武蔵一宮氷川神社公式サイト  👉 大宮公園(埼玉県公式サイト)


👉 埼玉県立歴史と民俗の博物館公式ホームページ(大宮公園の北側にあります)


👉 さいたま市立博物館(さいたま市公式サイト)(神社参道のニノ鳥居東側にあります)


👉 土器の館(さいたま市公式サイト)(大宮公園の南側、NACK5スタジアムの南西側にあります。大宮公園の外側です。)


👉 さいたま市立浦和博物館(さいたま市公式サイト)(中山神社と氷川女體神社の間の辺りにあります)


👉 馬場小室山遺跡(さいたま市公式サイト)(縄文時代早期から晩期の遺跡)


👉地理院地図